田中秀彦 1956年 6月28日 東京都出身
17才でベースに目覚め、池田芳夫氏のもとでプライベート・レッスンを受け始める。
81年、ジャズ・ビックバンド ブルーコーツに入団。数々のテレビ録画、生放送、ステージをこなす。
と同時に、新宿のピットイン、六本木ボデイー&ソウル、銀座・六本木サテン・ドール、などに出演し、実践を磨く。
82年、本場ニューヨークのジャズシーンへの憧れ、挑戦、さまざまな思いを胸に渡米。
マンハッタン、チェルシー地区のアパートメントに移り住む。
ニューヨーク生活をスタートさせて間もなく、朝1時ごろのタイムズ・スクェアで、
見知らぬアメリカ人にいきなり引きずり回されシャッターに叩きつけられ目の上を3針縫うという不幸に襲われつつも、
ニューヨークにとどまる。生活のため、まったく不向きなバスボーイのアルバイトを始めるが、
1ケ月ほどたったころ手が震えだしやめる。
アルバイトを止め、ストリートミュージシャンなどをやりながら、音楽に集中する生活を選択するも、生活は貧困。
生活費を切り詰めるために、リビング・ルームとキッチンしかないアパートに、男3人で暮らすなどしながら、
練習と実践に余念のない日々が続く。
一方、渡米後2年ほどして、バリー・ハリスのジャス・カルチャル・シアターで、ハウスベーシストとして演奏するチャンスに恵まれる。
と同時に、アングリー・スクワイヤーやウェスト・エンド・カフェなどに出演。ウォルター・ビショップJr、アル・コーン,
セシル・ペイン、ハンク・モブレー、ベニー・パウェル、ジャッキー・バイヤード、そして伝説のCシャープなどと共演を重ねる。
91年、渡米9年目にして、とうとう、グリーンカードを抽選によって取得。この時、アメリカ大使館でのインタビューで、ウッドベースを持ち込み、職員とセッションとなった話は、ジャズ・ミュージシャンの間で伝説ともなっている。
05年には、ミッドタウンのCafe St. Bartsで行われている”Jazz At Noon”にゲスト出演していたジュニア・マンスと知り合い、ジャズの老舗「ニッカーボッカー」にて共演。その後彼のレギュラー・べーシストとしての依頼を受け現在に至る。
[Member of Associated Musicians of Greater New York Local 802 AFM No.T03401 ニューヨーク音楽家協会会員]
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